2015年10月から始まったインドネシアからのモノ作り「ジュエリー」。この連載ではジュエリーづくりの向こう側を、携わる様々なメンバーたちが、ありのままの姿でお伝えしていきます。
コラム一覧をみる調べてみるとジョグジャカルタとはジャカルタではなかった苦笑。
ジャカルタから飛行機で1時間ちょっと離れた場所にある。
伝統的なジャワ美術の中心地で、バティック(ろうけつ染め)や
人形の影絵などの文化があることで有名。
王宮を中心に発展した、一時は臨時の首都となるほどの古い都なのだった。
「なるほどー。アートの中心地。王宮が栄えていたから
貢ぎものや、伝統工芸の職人がいまでもいるんだなあ。
どうりで『バティック』職人はバティックの街、
ジョグジャカルタにいるのか。」と
1人で納得したのだった。
「さて、行ってみよう。」
2015年1月。
私はとっても軽い気持ちでここジョグジャカルタに
着いた。
ジャカルタからの飛行機から見えた夕日は本当に
きれいだった。
ジョグジャカルタの街はとても小さい。
空港は日本でいうと石川県の
小松空港よりずっと小さい。
私が途上国でまずはじめることは
街を歩くこと。
とにかくたくさんのモノを見て、たくさんの人と
話すこと。
歩きながら、自分が感じた「いいな」とか
「きれいだな」といった直感を大事にすること。
夜の屋台から。
ジョグジャカルタのココナッツ風味、
最初の2、3日は本当に美味しい!!笑
毎日街を歩いては、この国で作られたモノがなにか、
また素材はなにか、
どんな人たちが作っているのかっていう
「ルーツ」を巡っていきます。
勿論最初は、バティック職人の工場から。
でもそこはただの「家」でした。
生産工程を覗かせてもらう。
そしてできれば、自分でやってみる!
マザーハウスのロゴをひたすらバティックで
描いてみたりしている笑。(それにしてもロウって熱かった!)
バティック染めをしている女性に聞いてみた。
「どうしてバティックをはじめたの?」
「アートに興味があって、美術の専門学校に行こうか
迷ったけれど、仕事につながるものがいいなって
思った。」
そんな風なリアルな進路を決めた理由なんかも
とっても参考になった。
モノ作りから見えるその地に住む人たちの
感情、気持ちの在り方ってすごく本質的。
続いてまた街へ。
次に見かけるのは「土器」です。
障害をもった人が土器作りに携わっている工房が
ありました。
ここも釜が近くにあって、とっても熱いのに
みんな必死で、しかも多くの女性が働いていた。
私は彼女達の強い眼差しがとても印象に残っています。
最後は、金物系の問屋にも潜入。
針金や銅板などが売られていることとかもやっぱり
何ができるか、の参考になります。
「これはスズ?これはアルミ?どこで作っている?
もっと薄くできるの?」
今は関係ないと思うことも色々聞くんです。
何がヒントになるか分からないから。
何一つ、無駄だと思わないこと。
お腹がすいた。
再び屋台。
確実に屋台で食べることは多いです。
なんでかって、その国の文化が根付いているから。
ホテルやレストランなんかじゃ、何も分からない。
「ブラパ?!(いくらですか?ってやっぱり最初に覚える笑。)
「わーい、今日も50円ですんだぞ〜!」
翌日も、今度は接着剤の問屋まで。
「このノリはどこからきた?」
「布につかえる?木や金属は?」
「リッターいくら?」
フムフム。
(バングラよりバリエーションあるな。とか
ヨーロッパ系より中国系が強いな、とか
メモります。)
そして最後には、昔の文献や、現地で有名な
詩や歌などに触れたりもします。
そこには、その地の人がもつ精神の美しさや
価値観がとてもよく現れているから。
「見られて良かった、村の山が豊かになるのを。
無駄ではない、みんなの努力は。」と
書かれています。
自然と共に生きるという価値観、
村の結束をベースにしたこの国の発展、
色んなものが垣間見え、ホテルでこの詩を
読みながら、一つでも多くを理解したいと
思うのでした。
モノ作りに近道はなく、
文化を理解せずに行うモノ作りに
何の意味もない。
そんな日々から見えてきた一つの答え。
それがフィリグリーと呼ばれる銀線細工でした。