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山口絵理子の日々思うこと。

出会いと別れと、前進 from コルカタ

2022.10.10

今回、インドはコロナが明けて初めて来ることができた。

コルカタ(カルカッタという人も多い)という東インドの街に、私たちのお洋服を作っている工房がある。

「この地で工房を作る」そう決めたのは2018年の自分自身だった。

ガンジーがこの国を建国した時代から、世界でコットンと言えばインドだ。

そして大量生産のコットン生地が出回る中で、カタンカタンと綿花から糸に、糸から布にしている人たちを見たときに、「これは未来に残すべき」そう思った。

インドでも手織り人口は激減、コロナ禍でさらに減少した。
当然、工業製品と手織の布は5倍程度価格差がある。
でもその差は、なかなか素人目ではわからないのも事実だし、年々理解できる人も減っている。
私も最初見た時は手織のレベルが高すぎて「機械でしょう?これ。」と大変失礼なことを言った。

ただ、着てみたらわかった。風を通し、肌が喜んでいるような温もりある質感に魅了された。

農村部で私たちは手織り布(カディという)を各家庭にオーダーし、それをコルカタの自社工房に持ち込み、シャツやアウターやスカートやパンツなど、数百種類の衣類を38人のスタッフが生産している。現在お洋服のお店も増えて専門店だけでも4店舗になった。

文章で書くと短いが、道のりは本当に長かった。

インドの旅路は一人の人との出会いから始まった。

最初にカディを紹介してくれて、共に合弁会社を作ろうと言ってくれた“アシシュさん”という人がいた。日本橋の展示会で彼がカディを紹介していたのが出会いだった。

アシシュさんの第一印象は「ザ・インドのビジネスマン」だった。非常にロジカルでパワフルで計算が早くて先を読んで大声で話す。最初に交渉した時は「インドとバングラデシュが同じだと思ったら大間違いだ」と言われた。

私は合弁会社を作るプロセスの中でだいぶ、彼と意見が違った。
カーストが残るインドの中で、彼はマネジメントとスタッフを明確に分離したがった。

私はそれが本当に嫌だったんだ。

「あなたのやり方は間違っている。スタッフは労働力じゃない。スタッフは作り手でありクラフトマンなんだ。だから私はいつだって彼らと対等に同じ目線で仕事をする。」
そう主張し続ける私に「インドをわかっていない」と何度も言われた。

最終的に合弁会社と言いながらもスタンスの違いが明確になりすぎて、激論の交渉をした末に、「私の会社(マザーハウス)が主導権を握る。ただし、あなたの息子さん(スヤシ)をインド側の代表に入れる。だからあなたは私とスヤシに運営は任せてくれ」という提案を私はした。

コルカタのホテルで何日も未来のシナリオを想像し考え出した私なりの提案だったが、彼の交渉スタンスが非常に難解で、議論がオーバーヒートすることを繰り返していたため、最終的に私はホテルの枕をアシシュさんに想定して交渉の練習を何回もしていた苦笑。

交渉の日、私の提案にアシシュさんは最初とても、びっくりしたような顔をしていた。
その後に急に笑って、「こんな日本人は見たことない」って言われたのを強烈に覚えている。
提案が通った瞬間だったが私たちの挑戦がスタートした瞬間だった。

私たちマザーハウスは田口、後藤という素晴らしい女性のマネジメントがしっかり現場に張り付いて、スタッフの育成や生産、品質管理など丁寧に現場を作っていった。
その一件以来、私はコルカタに行くたびに、アシシュさんが親みたいな気持ちで私たちの挑戦を見守ってくれているのを感じた。

(最初はすごい嫌なやつだって思ったけど、私たちのことを本当に応援してくれている。)
そう思うようになって、一気に信頼関係が深まった。

それでも大きな意思決定が訪れると息子のスヤシを飛び越えて、アシシュさんが前面に出てきて、早口で結論を捲し立てたりしていた。

「まあまあ!」とアシシュさんを笑いながらセーブしつつ、私の中でアシシュさんのキャラが、「強面(コワモテ)」から「可愛らしいパパ」へ変化していっているのを感じた。そして彼はいつも私に「えりこさんのクリエイティビティを発揮して、絶対グローバルブランドになれる!」と私にエールを送ってくれていた。

そんなアシシュさんが昨年、突然亡くなった。

定期検診をした際にすでにステージ4の癌だった。

電話でその知らせを聞いた時何が起きたかわからなかった。1年経つ今まで、信じられなかったし、信じたくなかった。

私はその時、自分自身の名前を冠したお店を立ち上げる準備をしていた。ERIKO YAMAGUCHIの単独店舗は先月東急銀座にオープンした。

そのお店はコルカタ工場からできた服で埋め尽くされている。

「アシシュさんに見せるんだ。彼は絶対興奮して、ワンダフルって言ってくれる。」
ずっとずっと心でそう思っていた。

今回、出張で工房に着いた途端、アシシュさんの写真が入口に飾ってあった。
強面でキュートな、笑顔の写真だった。

涙が溢れた。

彼と交わした夢が本当に今少しずつ形になろうとしているのに、見せることができないなんて。

初日は涙がずっとずっと溢れていて、工房のみんなと久しぶりに会えたのに朝礼で彼への感謝や彼との思い出をベンガル語で語りながらまたずっと泣いてしまった。

それでも、悲しみから前向きな気持ちになるエネルギーを、私は工房のみんなからもらった。

最終日にみんながサプライズで寄せ書きのプレゼントをしてくれた。
そしてメッセージを一人ずつ目の前で読み上げてくれた。

個性があるメッセージだったけど、みんなが共通して言ってくれたことは
「コロナで大変だった2年間、僕たちの生活を支えてくれてありがとう」だった。

私たちは普通に生産をしていたつもりだった。でもみんなにとって、インドは特に閉鎖する工場が多い中給与の心配をすることなくずっと安心してモノづくりに励めたことへの感謝がいっぱい書いてあったんだ。涙が溢れた。

そしてどのメッセージにも「アマデルプリヨ、えりこマダム(愛するエリコさんへ)」って書いてあった。

今アシシュさんがいたら、きっと私はまだまだインドのことは理解できていないかもしれないけれど、なかなかいいチームを作っているじゃないか、って少しは褒めてくれるかな。

小さな一歩から全ては始まる。

工場が手狭になってきたので、次のステージに向けてアクションを起こしていきたい。

そして、今回出張で工場のみんな以上に変化し成長していた人がいた。

「新しい挑戦をする機会をくれてありがとう。」

出張最終日、”またくるね!”と手を振ると、スヤシがすごく力強い眼差しで私にそう言ってくれた。

仲間の存在、根底で繋がっている感覚、それらは何かを達成すること以上に、幸せの物凄く大きな要素だと私はやっぱり思う。

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