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山口絵理子の日々思うこと。

夢のパリ、ついにショールームオープン。

2020.09.16

私は起業当初から、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」というミッションの先に、具体的にイメージした国や街が3つある。

一つは東京、もう一つはアメリカ、もう一つは、パリだ。

25歳の半分大学院生が思い描いたことなので、ビジネスの規模とか合理性とかは無視してほしいんだけれど、当時バングラデシュのジュート工場で汗だくで働いていた時、ヨーロッパからのバイヤーが買い叩いている風景を見たり、一方でファッションの世界で多くのメゾンブランドがパリから生まれていることを知って、「将来、パリの石畳を歩く女性がバッグを持ってくれたらなあ」と妄想の絵をスケッチブックに描いていた。

それから会社が利益があがるようになってからは毎年パリを訪問するようになった。
パリコレを見たり、7、8年くらい前からは物件を見たりしていた。
最初に不動産屋さんに行った時、マザーハウスは東京に一店舗だけ、下町の「入谷店」しかなかった。
当時「パリにお店を持ちたいんです。物件の候補を見せてください」と言ったら、ものすごーーく失礼な態度で遇らわれたのを覚えている。

今思い返せば、手の届く金額じゃなかったので当たり前なんだけれど、「物件は10年は出てきませんよ」と苦笑いする不動産や、「パリは難しいよ」と一言だけ言って奥に引っ込んでしまう接客だったりと、ひたすら「ムカつく!!」と叫んでいたのを覚えている笑。

あれから数年、日本国内で店舗が30店舗を超え、シンガポールの空港にお店を出せた後、私は執念深く、去年「今こそ!」と思いパリへ旅立ったのだ。

2019年6月、一人でパリのモンマルトル周辺のホテルに長期滞在し、パリを立ち上げる!と情熱をもやしていた。

ホテルの部屋には、パリ市内の地図を広げて飾った。
飾るだけじゃなくて、行った場所、候補となりそうな通り、各ブランドの店舗などマークでいっぱいになった。

私が手応えを感じていたのは、カタログを見せても、自己紹介しても、昔と全く違ったのは、日本の実績だった。
私は風貌から常にフランス人からちょっとバカにされてしまうんだけれど、店舗数、工場数、展開国、スタッフ数、リアルな数字を話すと、誰もが目の色を変えた。
「挑戦したいんだ。」そういうと、「力になりたい!」と不動産は毎日のように物件を紹介してくれるようになった。
なので私は毎日内見をする日々だった。営業権と呼ばれる日本にはない権利の売買があるのをご存知だろうか。

「店舗を開く権利」だ。この権利に、通り(番地)によっては破格の値段がついている。いわゆるパリの一等地の営業権は5億、10億というのもザラだ。
私は2ヶ月くらいで、30件以上の物件を内見し、この営業権の交渉に5件くらい進んだ。日本ならば1対1でオーナーと対面できるが、パリはそこも違う。

オーナーとはなかなか会えない。会わずに借り手とオーナーの両者の弁護士を経由して数字の交渉に入る。
なので、私は自分の会社のことやブランドのアピールが直接できるわけではない。数字の交渉だけではどうしても勝てないと思うと「会社概要を渡してくれ」など弁護士にお願いすることもあったのだがあくまで「値段次第」で判断されるオーナーが多く、「あくまでパリでの実績はない」と言われることもあり悔しい思いをした。
本命の物件が見つかった時、私はパリで借りたレンタルオフィスで内装の絵を描いていた。それくらい、この物件が欲しいと思った。

営業権も満額でOKだと伝えた。リスクは異常に高かったがそこはサントノレと呼ばれる一等地。向かいはエルメスの本店だった。
「絶対ここで決めたい」と思い、私は最終交渉に挑んで家賃も会社としての信頼性もほぼオーナーとは合意できたのだった。
しかし、最後の最後で、大手ブランドを複数抱える某グループにこの物件が取られてしまったのだった。「聞いてない!」といくらいっても、オーナーからの返事はなくそこで交渉はthe end。日本と全く異なるゲームのルールの中、翻弄されながら、それでも自分の足で物件をみて自分の言葉で交渉をした数ヶ月は私に「パリとは何か」「何を大事にしている人たちなのか」を痛烈に教えてくれた。

毎日ホテルに帰るとくたくただったが、フランス語を習いながら、今度は「人」「チーム」を作ることを始めた。フランスで大手の求人広告会社に2週間、募集を出し200名以上の応募があった。パリだけじゃない。中国人、イタリア人、アフリカ系の人、マレーシア人、日本人。履歴書を見るだけでも疲れてしまったが、その中から40人に絞り込んだ。
そして40人の面接がはじまった。
しかし、ここでもさすがパリ。当日のドタキャン率が高すぎた・・・。

当日になって「他の仕事が決まったからいけない。」と平気で言えるフランス人に私は多くを学んだ。

結果的に25名を面接した。そして6名までに絞り込み、私は「最終面接は、集団面接をする」と決めた。

6名はしっかり当日に集まったが全員揃って
「フランスで集団面接なんてやったことない、何なんだいこれは?」
と言われた。フランスは個人プレーの国。しかし私はチームを作れる人が欲しかったのだ。

「はい、それでは今からみんなで私たちの商品のマーケティングプランを考えてください!」と言い、初対面のフランス人たちはキョトンとしながらも話し合いを始め、プレゼンテーションまでやってもらった。

そこで、私の目には二人に絞り込めた。しかし、それでも自分の決断に自信が持てなかった。翌日、この6人にもう一度個別で会おうと決めた。カフェを指定して、カジュアルな感じで2時間ずつ、私は彼女たちと話をした。

そこで見えてきた本性(笑)が全く面接と異なっていた。
「給料は年間いくらあがるんだ?」などと金額ばかりを話す人もいた。私は悩みに悩んだ末、6人の中で最年少25歳のノルマンディ出身の「ポーリーン」という名前の女性に、フランス事業を託すことを決めた。最後はこれまで6カ国でパートナーを見つけ出してきた動物的な直感みたいな部分に従った。

「ポーリーン、なんでマザーハウスがいいの?」
「マザーハウスの哲学は、パリのファッション界にとってものすごく新しい。背景、生産地、ミッションそれらを含めてブランドを立ち上げる、こんな興奮する挑戦はない!」と言っていた。

私は悩みに悩んだ数ヶ月の悪戦苦闘の先に、最高の仲間と出会うことができた。
それ以来彼女とwhat’s upで日々やりとりしながら彼女の爆速とでも言うべき0−1の立ち上げ力に驚かされた。ウェブサイト、インスタグラム、アルバイトの募集、プレス広報の広がり、モデルによる撮影などなど、凄まじい勢いだった。(↓彼女がポーリーンです!)
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私がマザーハウスを立ち上げたのが彼女と同じ年なんだが、少なくとも当時の私の何倍も優秀で、私はいつも電話で「Great!Amazing!」くらいしか言っていない気がする・・・・。

人の件が落ち着いてから、私はもう一つ大きい決断をした。
「いきなり大型の直営店舗を構えるという戦略を変えよう。小さいショールームで、どんな商品があたり、どういうお客様がコアなベースになってくれるのか実験する期間を設けよう」と思った。

当然、直営店舗への憧れはあったのだが、数ヶ月滞在する中で度重なるストライキがあったり、一等地でも感じたフランスの政情不安に遭遇するたびに、「箱(店舗)ができても、むしろそれが足かせになるかもしれないなあ。箱への投資は最小限にしてデジタルでの戦いをしたほうがいいかもしれない」と思い始めたのだった。

ぐっと舵を切りながら、ポーリーンと戦略を練り直し、さらに彼女が入社して試用期間の間に、生産地3カ国を周遊させるという強引な育成プランを実施した。
「バングラデシュに来て、私がどうやって商品を作っているか、自分の目で見て、パリのお客様に伝えるんだよ」そう話すとポーリーンは、工場での日々をすでにインスタで発信するなど素晴らしい動きを生産地でも見せていた。

こういった意味で、実はコロナが発生する前に、フランスの大きい意味での0-1の下準備は完了していた。

そしてコロナ禍。やはり彼女は足を止めることはなかった。契約したショールームを着実に稼働させようとしたが、工事業者は動かない。彼女は自身で壁を塗ったり工夫をし始めた。ウェブサイトもスタートさせ、SNSの企画も試みた。
私自身が25歳の時に入谷店をペンキ塗りしていた姿が重なって感動したのだった。
そして、ようやく、最初のお客様と出会う場所、フランスのかわいいショールームがオープンしたのだった。

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こうやって文章で書くと2000字程度だが、私にとって、日本人がフランス人と出会い、一つの拠点を作り上げるまでには、日記を振り返っただけでも一冊の本がかけるほどだ。

西洋と東洋での価値観のズレは、本気で立ち向かわないと見えてこない。
そして既にフランスで働いている日本人の先輩たちに「フランス人は働かないから気をつけてね。トップは日本人がよいよ。」と言われてきたアドバイスに、今の時点では、真っ向から私は反対意見を持っている。

信頼関係っていうのは、自分が信じてから、始まるものだ。自分が信じることなしに、相手から信頼してもらおうと心の底で期待しているなら、間違いなく、当然裏切られる。

「バングラ人は・・・」と一括りにする人たちに大勢あってきたが、「フランス人は・・」と一括りにする人たちも大勢いた。そのカテゴリーに当てはめた見解は、現場を歩く人間にとっては雑音でしかない。

現場には、可能性がゴロゴロ転がっていて、実は平均的な人などいなくて、例外だらけかもしれない。大事なのは、生身の経験なんだ。

フランスを立ち上げた理由は販売のためだけじゃない。

9月12日、秋冬コレクションである「Lay」という新作バッグが販売された。このページのトップの画像にあるバッグ。

フランスの滞在時にデザインを起こし、はじめて糸の太さや内側の作りなどをパリのメゾンのブランドを毎日研究しながら作ったものだ。「リュックはセクシーじゃない」ってパリジェンヌに言われるたびに、「そうかなあ、形次第じゃないかなあ」と思い、フォルムを「横長」にトライしてみた2wayのバックパックだ。

工場のものづくりの進化に対してフランスが与えるインパクトは果てしないと思っていた。その第1作目がこのリュックになる。

さらに、そのプロモーションビデオを、フランス主導でやることに今回は挑戦した。
日仏のタイアップがこれから見せてくれる世界、与えてくれる刺激に、アジアの拠点10カ国は大きな学びがあるだろうと思っている。

大事なことは、フランス事業全体というよりも、世界11カ国のチーム、ブランドがどのような成長の螺旋階段を描くか、というビッグピクチャーだ。
ポーリーンの威勢のよい姿に、各国のマネージャー陣が刺激を受ける。そういう会議の様子さえも、フランスを立ち上げる意味でもある。

コロナ禍で「夢より数字」な気運が強くなっている気がするが、夢なき数字に何の意味があるだろうか?少なくとも私は興味はない。

経営とは何か、今でも難しくてよくわからないが、「夢を叶えた時に、それがビジネスとして成り立つかどうかを設計する仕事」なのかもしれない。

ビジネスを追求した先に、夢が生まれるわけじゃない。

追伸:そして私個人のyoutubeチャンネルでもフランス、Layへの想いを話しました。どうぞご覧ください。

確かに治安も悪くなっていて今さらパリ?と思われる方もいるかもしれないが、アジアばかりの私にとって、西洋がメンバーに入ったことで広がった視野や世界は本当に大きかった。

コロナ禍で銀座店、パリのショールームと立て続けに挑戦をしてきて、今感じることは、ようやく「なんとなくスタート地点に立ったかなあ」という感覚。

産休に入ることもあって、次なる一歩はどっちに向かうべきか、ゆっくりじっくり自分と対話しながら考えていきたい。

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