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山口絵理子の日々思うこと。

えりこの理。

2018.07.30

いまに始まったわけではないんだけれど、
私はよく、自分の名前の漢字を間違われる。

「絵理子」なんだけれど「絵里子」と書かれてしまう。

取材でもゲラがあがってくると
かなりの打率で「里」になっていて
最初は嫌だなと思っていたけれど、だんだん
「そうだよね、間違えやすいよね」と思えるようになってきた笑。

私の名前は、八百屋をやっていた母方のおばあちゃんがつけてくれた。

「どうして、絵理子ってつけたの?」と理由を聞いてちょっと驚いた。

理由は、「絵のように、理想的な、子になるように」だった。

その「絵」が誰の、どの絵を意味しているんだろうか。

特定のものではないらしい。

でも、だからこそ、
私の中ではずっと「絵のように理想的」という表現が、
手が届かないくらい崇高で、高貴な響きをもっているように
思っている。

そして、何より、描くことが大好きな私にとって、
「絵」という字は本当に大好きでストンと自分のものになっている感じがしている。

けれど、「理」については違う。

間違われることが多いから、という理由で
この年になっても、たびたび考えてしまう。

「理想的とはどんな自分なのだろうか」と。

自分自身がわからない時、理想なんて現実とは程遠いな、と思う時、
たくさんあったのだけれど、
最近は、結構力強く、

「いまの自分だ。」と言い切れる時がある。

それは、主語が、「自分が思う」理想的でいいんだ、と
思えるようになってきたからだと思う。

意外かもしれないが、そう思えるようになったのは
結構最近なんだ。

それまでは、「社会にとって、会社にとって、みんなにとっての理想的」を
バカみたいに考えてしまっていた。

しまいには、○○な日本人、みたいに選ばれる機会などを真に受けて、
日本にとっての理想的とは何か、なんてことまで、真剣に考えていた時期もあって
一人、ぜえぜえ呼吸になっていた。

でも、今は、ちょっと違う。

私は誰にとっての理想的でなかったとしてもいい。

自分の理想的であればいいんだ、って心から思えている。

そして、その結果、今の自分がとっても好きだ。

だめだめな自分でも、できることあるじゃんって
減点主義から、加点主義に変われた気がする。

何か大きなきっかけがあったわけじゃないんだけれど、
たくさんの人の支えや、大事に思う人の言葉が重なって、
そう思えるようになれた。

人間って面白いなあって思う。

たったこれだけの視点の変換で、
心が軽くなって、肩も軽くなって、
自分が自分のことを許せる心持ちになれるんだから。

おばあちゃん、そんな風に振り返る時間をいつもくれて、ありがとう。

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