MOTHERHOUSE

MOTHERHOUSE MAGAZINE
山口絵理子の日々思うこと。

パキスタンからカルカッタ。

2017.11.22

パキスタンから帰国して、2日。

一日だけ東京の都会を経験して私は
カルカッタに来た。

今回はとても緊張する大事な出張。
先月、多くの調査をこの地で田口や山崎と共にした。

今回は、その交渉を形にし進めつつ、この地で何ができるのか、
0を1にできるかどうかの私の中ではランクAの難易度にあたるような
ひとりぼっちの出張だ。

しかし、道は最初から険しく遠い。

今朝8時半。
成田空港第二ターミナル。
「香港経由で、最終目的地はカルカッタですね。」
「はい。」
「前回の出張から2ヶ月経っていないみたいですが、確かインドは2ヶ月期間が開かないとだめだったような気がします。」

「??本当ですか?私が調べた時には書いてなかったです。」

「一応調べてみますが、こちらのコンピューターにはそう表示されています。」
(まいった。)

(tel….. )

「(会社へ電話)インド大使館に電話して。至急確認して。」

「(カウンターの人へ)でも私ビザが申請できているので、可能性は低いんじゃないでしょうか。」

「まあ、インドの情報はとてもバラバラなので、ただこちらではそう表示されているので・・・。」

「とにかく行ってみます、最悪のケースはなんですか?」

「そのまま帰りのチケットで帰国するということです。」

「でも私のチケットはダッカからなんです。」

「そうですか・・・。それもまた振り替えたりとかしないといけないとは思います。」

私はとにかく自分のリスクで入国を抜けた。
(2ヶ月以内なんてルールはないはずだ。)

会社から電話がかかってきた。
「インド大使館に電話したのですが、窓口の人が本人じゃないと説明できないとか言って分かりませんでした。」

「OK、電話番号教えて。」
(tel….. )

「2ヶ月以内に入国したいのですが、大丈夫でしょうか。」
「あなたのビザの内容によります。読み上げてください。」
「有効期限は来月まで。No of entry は2回。」
「? ビザオンアライバルは再入国できません。」
(やっぱりそうか!)

ビザオンアライバルのスタンプには紛らわしいことにNo. of Entry (2nd)と書かれている。

しかし私はそのスタンプを信用できないと思って、実はE-visaという電子申請のビザも取得していたのだ。
心配性の私だからこその対応策だった。

「Evisaは取っています。」
「ならばそれを見せてください。」
「よかったです。」

早く切ろうとするスーパー感じの悪い窓口の人に私は最後に聞いた。

「あの、もう1つ。今月、っていうか一昨日パキスタンから帰ってきたのですが
入国拒否の可能性は?」

「それは担当官によります。ここでは答えづらい。
入国拒否に該当すると思われる人物は拒否されます。」

「・・・・・。」

再び今度は総務の王君からラインがきた。
「私の友人の情報によると入国拒否されても、待機用の部屋で帰り便を待ち、
お茶まで出されたそうです。」

(!!! なんともいえない情報をくれた。)

「その彼はなぜ入国を拒否された?」
「ホテルを取っていなかったそうです。」
「は?それだけ?」
「はい、友人の家に泊まるといってもだめだったそう。」
「へ・・・。そんなこと言ったらパキスタン帰りですの私はもっと危ないよ。」
「ただ、僕の友人は風貌が怪しいというのも大きかったと。」
「その点私は大丈夫だ。」
「そうだと思います。」

この意味があるのかないのか分からない会話をした末に、王君がナイスなラインをくれた。

「パキスタンに行った目的をきちんとすることだと思います。」

「ナイス!講演会の招待状を印刷して。
それで香港のK11(私たちの店があるところ)に置いておいて。
乗り継ぎでピックするから。」

「わかりました。とにかく“日本政府”という言葉に弱いので、
そこからの招待状だと強調ください。」

「了解した!」

とにかく私はやれることはやった。

一か八か行ってみてだめならインドのビジネスに縁がないと思え!と
自分に言い聞かし飛行機に乗った。

カルカッタ行はガラガラだった。

窓際で真っ暗な空を見ていたらすーーっごくきれいな星空だった。
無数の星ってこういうことをいうんだなーって思ったのと、思い出した風景。

ダッカからカルカッタへ大学の時に行った時に見た空とそっくりだった。

(カルカッタはどの国よりも星空がきれいに見えるのはなんでだろう。
きっと色んな人がこの国のために誰かを輝かせようとしてきたのかなあ。
最大のスラムがある国。マザーテレサ、ガンジー、
偉大な人たちがこの国に捧げてきた歴史・・・)

そんなことばかり考えていた。

夜23時到着。

「E-Visa, Visa on arrival」という看板が見えた。

深呼吸だ。

私はホテルの予約や帰国便、パキスタンの講演資料など全ての書類を万全に整え列に並んでいた。
(もう祈るしかない)

前に4、5人になった時に、なんと私は目をぱちくりさせてしまった。

(彼だ!!!)

先月カルカッタに入ったときに私のベンガル語でハイテンションになった彼がいたのだ!!!!

彼が神様に見えて来た。

よし、彼の列に並ぼうと変更し待つ。
「NEXT!」

呼ばれて私はベンガル語で言った。
「ねえ、私のこと覚えている???」

彼は満面の笑みを浮かべ、
「また来たのか!!!!」

「ジージー(そうそう!)」

「このアライバルビザ、2回目使えるんだよね???」

「そうだよ。」

(ああ!!!!やったやった!!!)

しかし問題はそこからだった。

「なんだ、お前はパキスタンに行ったのか。」

「そうだよ。講演会に呼ばれたのさ。ジャパニーズガバメントだよ、JICAなんだ!!!」

たたみかけた。そして書類も見せた。

しかし、彼は厳しい表情で言った。

「パキスタンのどこに行ったんだ。」

「カラチと、、、ラホール、、、。」

更に厳しい顔になった。

やばいぞ。雲行きが怪しい。

彼は違う係の人のところに行ってしまった。

ああ、これは部屋行きか・・・。

かなり長い時間待たされた。

そして、彼が二人のスタッフと共に帰ってきた。

そして静かに行った。

「どうだった?パキスタン?」

「・・・・。ま、まあまあだよ。」

「そうか。」

ちょっと興味があるみたいだった!!!!

本当はいい国だったーとか言いたかったが、静かにしておいた。
そして私のパスポートに「ガシャン」とスタンプが押されたのだ!!

「やりました!!!やったぞやったぞー!!!」

私は出張がこれからなのに、恐らくこの出張で一番の達成感を一人で感じていた。

私は審査を抜けたがちょっと引き返して彼に言った。

「ねえ、私のこと、覚えておいてね。忘れないでね。」

「わかったよ!」と彼は目を見ずに言った。

恋人の別れ際のような会話をして、私は
深夜1時カルカッタ空港にてガッツポーズだった。

kokko

メッセージを送る