Yamazaki Blog
2010/05/15 堀さんとの議論を前に
既に大阪入りし、堀さんとの講演会に向けて気分が高揚してきた山崎です。
先日も社会起業家と起業家でブログを書かせてもらい、
堀さんと考え方が近い部分を紹介しましたが、一方で若干異なる部分もありますので、
直前になってしまっていますが、少しここで書かせてもらおうと思います。
私自身も社会起業家に関しては、そのようなラベルに拘るのは本末転倒で、
社会起業家と起業家の間に線引きするのは難しいと思います。
確かに社会起業家という言葉が社会に新しい視座を提供した部分はあると思いますし、
主観であっても社会的な意義をビジネスのフレームワークで実行できるという可能性を、
私たちに考えさせたのは間違いないでしょう。
一方で、社会的なメッセージだけでビジネスのサスティナビリティ、
すなわち収益性の確保が出来るほどビジネスの世界は甘くありません。
社会起業家という言葉が生まれたことで、
ビジネスの厳しさに対してある種の誤解が生まれている気もします。
ただ、今回、ここに書こうと考えているのは上のようなことではありません。
堀さんが、「社会起業家VS起業家」の中で書かれている、
「バングラデシュでバッグを作ろうが、中国で作ろうが、そもそも同じだと思う。
株式会社で教育を提供しようが、学校法人で提供しようが、大差は無いと思う。」
という文脈に対してです。
堀さんが仰ろうとしていることは、企業は結果が全てであり、
如何に提供する財・サービスのクオリティを上げるかが
最終的にビジネスの本質であるということだろうと思います。
私も実際に経営者になってみると、カッコイイ言葉や振る舞いではなく、
結局はどんな泥臭くても結果が全てだということを日々感じます。
しかしながら、モノやサービスに溢れたポスト高度消費社会において、
果たして企業が作り出す結果とは何なのか?
私たちが目指すべき最適解とは何なのかという疑問にあたります。
いまやバッグを一人当たり平均10個持っている時代に、
バッグを売る意味は何なのか?ということです。
そしてこんな時代だからこそ、企業もCSR(企業の社会的責任)という議論を
避けて通れないようになっているのだと思います。
私たちが大事にしている言葉にクオリティとストーリーがあります。
クオリティはバッグが持つデザインや品質、
すなわちバッグの持つ本質的な価値を意味している一方、
ストーリーとは商品の持つプロセス、すなわち、誰がどんな思いで、
どのような経路を辿って、作られたモノなのかを意味しています。
更に、その商品をお客様が購入することによって、
一体この経済社会にどんなインパクトをもたらすのかというゴールまでを意味しているのです。
私たちがこのような言葉を理念の中に掲げているのは、
ポスト高度消費社会における経済人(消費者・投資家・労働者)が
自らの新しい可能性見出す必要があるという思いからです。
情報コストが限りなくゼロに近づいていっている中で、
私たちの経済活動が透明化される途上にあり、
その途上の中でお客様一人一人が購買活動等で与える経済的インパクトを
認識できるようになってくるということです。
これは決して消費者としてだけではなく、
お金を投資する・貯蓄する、どこかの組織を運営する・働くという点でも同じことです。
ただ、お金を稼ぐ、貯める、使うという経済活動から、
それぞれを通じて一体どのように経済社会の発展に貢献しようとしているのかということを
考える機会が増えているのです。
しかし掘さんがブログの中でお話されていること、
「バングラデシュでバッグを作ろうが、中国で作ろうが、
そもそも同じだと思う。株式会社で教育を提供しようが、
学校法人で提供しようが、大差は無いと思う。」
は、経済的価値を提供するまでのプロセス、
すなわちストーリー部分が弱くなってしまっているのではないかと思っています。
ストーリーを強化する上で必要な組織形態や条件は、
例えそれが制約条件になってしまうとしても、あるのではないかということです。
結果だけを見て、その企業の価値を問う時代は終わっていくと思います。
私は今回、社会起業家と起業家という軸だけではなく、
企業や資本主義の未来についても議論をしていきたいと考えています。
2010/05/13 社会起業家VS起業家
最近、とてつもない怖い夢を見てビビッている山崎です。
日本に帰ってきてから、初めてのブログということで、大変ご無沙汰しておりました。
今回のタイトル、「社会起業家VS起業家」、ということなのですが、
実はこれは5月15日(土)に大阪で開かれる第4回マザーハウスカレッジのテーマでもあるので、実際にグロービス経営大学院学長・堀義人さんと対談をする前にここで少し意見を述べておきたいと思います。
ちなみに堀さんも同じタイトルでブログにご意見を載せられてます。
<堀さんのブログ記事はこちら>
<堀さんのブログのもう一つの記事>
今までもマザーハウスカレッジでは、「経済性と社会性は両立するか」等、
昨今の社会的役割を担う主体としての企業という部分に着目してきました。
私自身は「社会起業家」という言葉が生まれた背景に関しては否定するつもりはありません。
実際、リーマンショック等を通じて、資本の暴力性が改めてフォーカスされ、
そのような世界とのバランスを取ろうとした動きが出ているのは事実だと思います。
特に社会起業家という言葉が広がっている20代以下の世代に関しては、
物心つく前にバブルは崩壊し、
間違いがないと思われてきた大企業が倒産してきた、
そして何度も金融システムの破綻を見てきた、
そんな失われていく経済システムの中で育ってきた世代です。
既に右肩上がりの経済感覚はない上に、日本経済の未来に関しては
絶望的な見方すら持っていると思います。
合わせて、家族観や教育現場の崩壊など、社会的見地からしても、
絶対的に信用できる客体を外にもてない世代と言えます。
そんな中で、自分の内面に何か絶対的なもの=社会的な価値を求めていくのは、
私は必然なのではないかと思っていますし、
そんな背景から社会的な価値を持った仕事をしたい=社会起業家ということは
理解できるのです。
ただ、そんな背景を理解しても、
結局私自身、社会起業家とは何かという問いに対して、
明確な答えを持つことはできません。
少なくても社会起業家と起業家の間に線引きは出来ないと考えています。
というのも、社会的価値を提供している、していないということを、
私は自分の主観で線引きすることは出来ても、
客観的に線引きすることはできないと考えているからです。
一経営者として経営をしてきて、
自分たちのしているビジネスの社会的価値を信じていますし、
自分たちの主観としてこのビジネスの発展が、歴史の発展に寄与するものと信じています。
しかし、他のビジネスを社会的だとか、
社会的ではないとか客観的に判断するのは非常に難しいと思います。
少なくとも自分にとっては、毎日大量の財・サービスから便益を享受している以上、
多くのビジネスが社会的な存在です。
安価な価格で美味しい高栄養な定食を提供している近くの定食屋は、
社会企業ではないのですか?
明日への活力を誰かに与えてくれるロックを歌っている歌手は、
社会起業家とは呼べませんか?
結局、それぞれの個人が、
好き、必要、応援したい、そんな気持ちから対価を払い、
そのサービスや財から便益を得ている。
その集合体がマーケットであるはずです。
逆にマーケットで生き残っているということは
その企業は何らかの価値を誰かに提供していることです。
誰かが主観かもしれないけれども、その企業の財・サービスを求めている、
社会的価値を感じているということなのです。
誰かにとっての社会企業でなくても、誰かにとっての社会企業であったりする。
人々の価値観が多様である以上、
私は、一般論としてこの起業は社会起業家だとか、そうではないとか
分けることは出来ないと思っています。
また、最近は
「社会起業家になりたいけれど、何をしたらいいのかわかりません」
とたずねてくる学生なども多いのですが、
そのときに言っていることは、
「本気で好きなモノを見つけて、
その社会的発展=その価値を一人でも多くの人が享受することに貢献したら
いいんじゃないかな。」
と伝えるようにしています。
これも見えない社会一般の価値を追い求めるよりも、
主観から生まれる社会的価値があり、それが多様であることの方が
重要だと思っているからです。
いずれにしても、何か日本は単純に
そんな主観から生まれる起業の社会的価値に対して、
ポジティブに捉えていると言い切れない気がします。
新しいものをマーケットで生み出し、発展させようとしているのだから、
起業そのものも評価されていいのではないでしょうか?
いずれにしても、社会起業家という「カタチ」にこだわるのではなく、
最後はサービスや財の総合的な付加価値を純粋に評価すべきです。
勿論、その中では倫理的に許されないことをしている企業も多数あります。
それは消費者・投資家・労働者として、経済社会に貢献している以上、
何らかの形でそんな企業を選択し、自分の経済的可能性を発揮すべきと考えています。
逆に言えば、自分の主観から選ぶ企業に対しては、
その発展に対して、消費者・投資家・労働者として貢献できると思います。
話は尽きないのですが、
5月15日に堀さんとこのような議論が出来ることを非常に楽しみにしています。
席は既にいっぱいになってしまったようなので、出来れば議論、その後についても
ここで報告できたらと思っています。
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