Eriko Blog
2009/02/27 バングラデシュ
ネパールでの仕事が最終的に、少なくとも光が少し見えたような気がして、そして
その光をもっと大きくしたいという前よりもずっと強い気持ちと共に私は、ネパールから
ダッカに数日前に出発したのでした。
一つは春のコレクションの生産のため。
そして一つは春の第二弾の商品開発と、更に昨日から始まったテレビ撮影収録のためでした。
しかし、ご存知の方もいらっしゃると思いますがバングラデシュで銃撃戦が行われています。
新聞にはこう書かれています。
25日、国境警備隊員らが将校らを人質に同隊司令部にろう城した反乱で、ハシナ首相は26日、国営テレビを通じて反乱兵に「恩赦と待遇改善」を約束。反乱兵は同日夕、人質を解放し投降した。現地報道によると、反乱は一時、全国各地の同隊駐屯地に拡大、政府軍との交戦に発展した。政府報道官はこの騒動で「市民十数人の死亡を確認した」としているが、英BBCは「50人が死亡した恐れがある」と報じた。
これが昨日で、今日は収まると見られましたがその予想も外れ、今日春のコレクションの為に
革工場に行こうとしたら、再び銃撃戦が。
本当に数十メートル先で、行われた。
銃弾の音が6発くらい聞こえた。
すぐに引き返せということで車が向きを変え、その間に沢山の人たちも
同じように銃の音がする方向からこちらに死に物狂いで走ってくる。
私には一体何ができるんだろう。
自分だって、こんな状況下でがんばりたくでもがんばれない。
それなのに、そんな風に思う人を一人でもなくしたいって思っている。
そんな矛盾にずっと自分の中で葛藤している。
私には無理なのか。
私がやるのは間違っているのか。
もっとうまくできるのか。
そんな気持ちがありながら、私は革工場の地区が銃撃戦でだめだったので、他の地区で
なめし工場を探し行った。なんとか革を仕上げないと日本での販売に影響がある。
納期は納期なんだ。
銃撃戦がありました。納期遅れました。
そんな話が通用する世界はビジネスじゃない。
私たちは企業なんだ。
そしてその先に今日、死に物狂いで走ってくる少女の顔を
見ることがない日を本当に望んでいる。
できるのか分からない。本当に。毎日、どこの国でもそう思う。
前に進めば進むほどそう思う。
だけど、信じて進むしかない。私には、それしか出来ない。
2009/02/24 そしてまた
その「何か」との出会いがあって、急に目の前が開けてきたような気がした。
そして次の日、私は農村に行った。
カトマンズは観光地化しているがこの町は色々な物作りがあるというから前から
行きたかったが、行こうとするたびに道路封鎖やストで行けなかった。
ついに行けると思った日、政府の人にそう話したらしけめっつらをされたが、
絶対に行きたいんです、と空港に向かった。
どの国もそうだが、やはり首都だけでは全く分からない。都市と農村の格差も
国によって違いがあり、それは国全体の問題と密につながっている場合が多く、
私にはとても興味深い。
カトマンズから飛行機で45分のある街だ。
着くなり、「バングラデシュだ。」と思った。
それくらい風景が似ている。
バングラデシュのような排気ガスの匂いはしないけれど、みんなサリーを着て、
リキシャに乗っている。
「わー!バングラだー!」
さわいでいると、すぐに今度はバングラの田舎の風景にシフトした。
牛がいっぱいいる。
この地はヒンディー教なので牛さんは寿命が来るまでのんびりと生きる。
「へぇ。だから牛肉ってネパール料理でないんだね。
あ、でもだったらなめし工場とかはないんだ。」
「それがあるんだ。大きいところは二つだけ。」
「二つ?この近く?」
「うん。」
「じゃあ行ってみよう!」
なめし工場は空港から車で40分くらい。
やっと着いたと思ったらなんと原始的!
野原の上で革を乾かしている。
中をのぞいてみてもバングラデシュとは全く違い、ドラム缶が三つくらいしかなく、
唯一ある機械らしいものはプレス機だけだった。
このなめし工場はバサンが5年前、輸出アワードを取ったときに一緒にやった工場だ。
そのころ開発した革を見せてもらったが、どれもとても素敵だった。
しかし今なおそれが最新の革となっている。
「どうして努力をして改善を続けないんだろう。」
その隣のなめし工場に行ってみる。少しは発達している機械があったが、
ここがネパール最大の輸出工場だというから驚きだ。
どれもウェドブルーといって最終加工をする前の革。これを中国やインドに輸出して、そこで最終に仕上げるのだそう。
付加価値を加えるならば最終加工までやってみた方がいい、とバサンは5年前に忠告したが
今なおこの最初の段階でストップしている。
そして世界経済が一気に悪化して、この二つの工場には数え切れないくらいの革のストックがあり、
中には腐ってしまっているものまである。
「どうしたらいいんだ・・・。」そんな風に口ではみんな言うが、顔は笑っているし、現に何もアクションを取っていない。
嘗て大忙しだった工場が今はドラム缶は回っていない。
もうストックが山のように積み重なっていて、蚊がいっぱいいる。
よくこんなところで開発研究をしていたなぁとバサンを尊敬するが、私は次の瞬間、
この原始的な工場で、本当に素敵なバッファローレザーとゴートレザーを見た。
とてもいい風合い。
とてもいい色だなぁと思った。
そしてスタッフの人が指を革の後ろにあてるとそこの部分が明るい色に変化する。
新しい技術じゃない、と言っていたけれど私には本当に素敵に見えた。
バッファローやゴートは皮自体が小さいため、バッグの業界では裁断時に無駄になってしまう
量が多く、牛の方が好んで使われているが、この原始的な工場で、そして
もう数ヶ月も回っていないようなドラム缶を前に、何か光が見えた気がした。
面白そうだ。この工場が生き返るのが見てみたいとなんだか強く思った。
2009/02/21 何かとの出会い
いつものように「何か」との出会いを期待しながら街を歩いていたら、ある一つの生地と出会った。
なんだろうなぁ。
ネパールっぽいなぁ、そんな風に思った。
だからといってネパール産ではないのがこの国なので、更にカッコいいとは程遠かったので
特にお店の人に聞くことはしないで、そのまま通りすぎた。
その日の会議は政府の人とだった。
再び貿易関係の省に行って情報を得ようと思って、いつも親しくしてもらっているカーキさんに
会いに行った。
彼は相当上のポジションらしいが、いつも気にかけてくれて電話をくれる。
「エリコ、どうだ?調子は。」
「調子はっていっても何も始まってないからなぁー。あはは。」
そんな彼に会いに行く。
いつもの事務所で「こんにちはー。」
なんか今日はかっこいいスーツを着ているなぁと思ったら、カーキさんの身の回りの
ものに、朝見た生地があった。
「?」
今日はアシスタントを紹介するよ、と言われ若い男性が部屋に入ってきた。
その人も「それ」を身に着けていた。
「??」
なんだ、あれは。
さすがに聞いてみた。
そうしたら、それはネパールで作られているという。
「本当にネパールなの?」
「ネパールだよ。これはネパールだよ。」
その男性もそういう。
本当なのかなぁ。
嘘じゃないのかなぁ。
パシュミナの一件から相当疑い深くなっている私は、ホテルに帰って
すぐそれについた調べてみた。
そうすると、数少ない文献の中から、それは長い間この地に伝わる伝統の文化の一つであるという
ことを知った。
「あぁ、あったんだ。気がつかなかったよ。」
勿論原材料はインドから調達されているらしい。
けれど、この技術はこの地に生き、継承され、そしてこの地の人に愛されているものであると
知った。
バングラデシュのジュートバッグのように、それは日常的なネパールの風景に溶け込みすぎていて、
私の目にこれまで入ってこなかった。
輸出ができるような状況では全くないけれど、少なくともこの国の人たちが愛するこの地の何かが
あって、それだけで本当に嬉しくなってしまった。
何かが始められそうな気がする。
このビジネスは、出会いが全て。
人との出会いは勿論最高に重要だが、モノを作っている以上素材との出会いはとても重要だ。
先進国のように、100種類、1000種類の素材の中からいいものをピックアップして組み合わせて
できるようなモノづくりではない。自分から素材がありそうな場所を歩いて、見て、求めて、
更には開発して、加工して、やっと手に出来る途上国の素材。
それが光輝くようにするのが私の仕事。
この日見たネパールの夕日はいつものように落胆だったりため息と共に見るものでじゃなく、
ふつふつと湧き上がるような情熱をもって、あぁ、何かが出来るかもしれない、そんな風に
思えたのだった。
2009/02/20 女性社長
ボタンの工場に行った。
「あぁ、ボタンなんて興奮するよ〜。」と朝からとても楽しみで仕方がなかった。
到着したのは何やら家みたい。
はぁ、やっぱり。家の中でどうせカタカタ作っているんだろうなぁ。
治安が悪いためどこの工場もゲートが重い。
その大きなゲートが開いた瞬間、とても驚いてしまった。
「でっかい!」
ただの家かと思っていたら、その先に工場みたいなものがあった。
そしてただの家も4階建てで非常に立派だ。
「すっごーい。」
興奮してすぐに中に行くと、ショールームに案内してくれた。
「わー!!!すごいすごい!」
こんな工場があるなんて!!なんで誰も言わないんだー。
サンプルとしてボタンたちをかなり買い込んでいたら、
社長さんが挨拶をしに来てくれた。
「どうも。日本から、バングラデシュから、まぁバッグを作っているマザーハウスという会社の代表をしています山口です。」
「バングラデシュ?あらぁ。まぁ。日本で販売しているの?」
「はい。そうです。店舗を4店舗、来月には5店舗になります。」
「あら。すごい。」
「どうぞ上に上がって。」
「はい。」
見た目は50歳くらいだろうか。
サロワカを着て、少しお腹が出ている彼女は4階の応接室に通してくれた。
「ここが私のショールームみたいなもの、小さいでしょう。」
犬が二匹はいってくる。
「こら!」と彼女が言う。
「私、犬が大好きなの。」と笑う。
なんだかすごそうな人だなぁと直感で思った。
どうぞ、と言われソファに腰掛ける。
彼女は独りでの口は止まらない。
「だめよ。もうネパールは。」と最初に言った。
「ジェイプールにね、工場を建てているの。私はもう25年もこの国でこの国の為に仕事をしてきたのに、来年60になるなんて時に、こんな問題が起きるなんて。マオイストがやってきてね、ついにほとんどのワーカーとさよならしたわ。」
彼女は悲しげに、でも同時にものすごいフラストレーションと共にそう言った。
それからスタッフらしき人が入ってきて、「明日のアメリカ行きのチケットは確認取れました。」と告げた。「OK。」とだけ言う彼女。それからこちらに振り返り続けた。
「バイヤーが本当に突然来なくなったの。だからもう私が行くしかないの。世界中回ってもう一度バイヤーを見つけてこなくちゃいけない。だから明日アメリカに行くの。」
国の政情不安で自分の工場が問題になれば、勿論バイヤーだって来るはずがない。
そんな悪循環の中、彼女は純ネパール人でありながら60歳にしてインドに工場を作ることを決心したのだ。
本当に複雑な思いなんだろうなぁ。
「すごい緊張のしっぱなしでもう本当にいやよ。」本当に疲れた様子でそういう彼女は「この国は終わったのよ。」とボソっと言った。
これまでものすごい経験をしてきたんだろうなぁ。そんな風に感じた。言葉に重みがある。
聞くと、女性起業家として、或いは社会起業家として多くの国々で賞をもらっているらしい。そしてかなり有名な人らしいと後から聞いた。
「インドの工場はどうなんですか?」
「ものすごい問題ばかり。インド人なんて大嫌い!」とバサンを目の前に言いたい放題。
「イスラム教は本当にやっかいよ。もう絶対にあの人たちとは仕事なんかできない!」という。
彼女があまりにも自分の話ばかりするので、私は聞く側で自分のことは全く話していない。なので彼女は私がバングラデシュにほとんどいて工場を動かしているとは全く思ってもいないので、内心面白がってイスラム教の人たちとの格闘話を聞いていた。
1時間以上話しただろうか。
最後に彼女は「私は一人身だから本当に心細くてね。友人なんてさ。仕事が成功している時には集まってくるわ。でも今はどうよ。誰一人いないわ。」
突き放すような感じでそういう彼女が本当に可愛そうに思えた。
それに、ここまで彼女の人生を捧げてやったのに、本当に悔しいだろうな。
私はずっと彼女のことを考えていた。
私が彼女だったら、どうするだろう。
60歳になったら、どこで、なんという言葉を発するのかなぁ。
彼女のように、また違う国で新しい出発をしようとしているのか、
家のリビングでゆっくり本でも読んでいるのか、
或いは全く違う世界で全く想像もできないことを考えているのか。
どうなんだろう。
ネパールの夕日を見ながら考える。
2009/02/20 相対
11月に訪れた工場に再び向かった。
労働問題に関して、或いは停電などに関してどのように対応しているのか聞いてみようと思ったからだ。
そこはカトマンズ市内にある。
また同じような落胆をするのかと思いきや、工場にあがるとトントンカンカンと音がする。
ところ狭しと工員たちが一生懸命ファイルケースようなものを作っていた。
11月にきたときよりもずっと工員数が増えていた。
「どうして?」
そこの工場のオーナーの人はとても気さくな人で、「何とか無事だよ」と笑う。
どうしてだろう、どうしてだろう、と聞いても「ラッキーだよ。」と返事をされるだけで、
特に具体的な答えは返ってこない。
工員を見ても、特に何の変哲もない。
その後、少し不思議な気持ちで工場を後にしようかと思っていたところ、お手伝いさんみたいな
人がコーヒーを持ってきてくれた。
3つカップがある。
オーナーの人は一つを私にくれて、一つをその場にいた工員に渡して、最後に自分のものを
取った。
私はただ普通のその風景にショックを受けてしまった。
通常、工場のオーナーがワーカーというと言葉が悪いが彼らにコーヒーを差し出すこと、
更に言えば、自分が後から取ることは考えられない。
日本でも考えられない。
社長が自ら平社員にお茶を出すようなものだ。
そんな風景にあっけに取られ、工場を後にした。
その日一日考えていた。
今起きている問題、マオイストによる労働問題はマネジメント側にも問題があるんじゃないか。
そんな風に思えてきた。
問題っていうのはいつも両方に何か理由がないと起こらないよなぁ。
閉鎖した工場のオーナーは所謂途上国の典型的な工場だった。
オーナーはオーナー。マネジメントとして君臨するもの。
ワーカーはワーカー。
そこには人間的な触れ合いなんてものはなく、一工員がマネジメントと言葉を交わす時は
工場を去る時か、給料前借りをする時か、それくらいじゃないかなと思う。
ただし、ネパールで現在起きていることは、一概にマオイストが感情的な要求をしているとも
言えないのでは感じている。
その証拠に彼ら率いる政党が最も大きい政党になった。
労働者も人間なんだ、という強いメッセージは一部分だけ切り取ると単なる共産主義に
聞こえるが、給料もろくにタイムリーに払われないで肉体労働をしている大部分の労働者から
してみれば、至極真っ当なメッセージなのかもしれない。
ネパールという国を知れば知るほど、やはり今まで自分が見てきた世界が如何に狭く、
小さかったか思い知らされる。
感じることも考えることも本当に主観でしかないんだ。
正しいことなんて存在しない。
全ては相対であって絶対的な価値観なんてない。
私たちが行うマザーハウスというビジネスモデルも、絶対的に正しいと思ったことなんて一度もない。
取材で質問に答えるときも私は意識して「私は、思う。」という言葉を使っている。
その裏にあるのは、正しいのかどうか分からない。ただ、自分ができることをやるだけなんだという
少し悲しいけれど、開き直ってやらないよりはいいというそれほど格好よくない理由がある。
ネパールでも何をしたら一番いいのかさえ分からなくなる時があって、頭が痛くなるが、
やっぱり街に出て、また明日も正しいか分からない道を歩こうと思う。
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