Eriko Blog
2008/08/30 求人
今日、工場のみんなの個別面談の前半戦を行った。
今日はマムンとモンジューラニを呼んでこの数か月仕事をしてみてどういう風におもっているか、
不満はないか、モチベーションはどうか、工場の問題点などを話しあって、
アティフさんと私から、評価を伝える。
知らなかった問題や、気持ちなどがわかって本当にいいセッションになった。
明日はローシャンとサレハとハシナという最も時間がかかるだろう3人なので気合いをいれないといけない。
そして、同時に今日はアティフさんのアシスタントの役職をバングラデシュで最も大きい
求人ウェブサイトで募集広告を出した。
この地で、アティフさんレベルの人を見つけるのは魔法に近い。
だから、最初から私の期待値は低い。
けれど、日に日に多忙になるアティフさんには少なくとも英語がパーフェクトにできて
パソコンが十分に扱えて、グローバルなマインドをもったアシスタントが必要。
多少の広告費を使って告知したところ、なんと2時間くらいしかたっていないのに
すでに10人以上から履歴書が送られてきた。
しかもみんなMBAをもっていたり、、、。
この現象を私は極めて興味深くみていた。
(勿論仕事だから、コストパフォーマンスよく募集できたな、、とは思ったが、、、)
実は、私22歳の時、はじめてこのバングラデシュで生活をし始めた2か月くらいのとき、
一つのビジネスを立ち上げようとしていた。
それは、バングラデシュにいる多国籍企業の求人募集を引き受けて、大きな大学のカフェに
求人募集のマガジンを無償配布して、応募してきた人たちを私がまず一次選考をして、
ある程度の基本的なマナーを教え、絞り込んで企業サイドに提案するというもの。
そう思った理由は色々あって、ここでは書ききれず、それが失敗した理由も書くと長いので
省略するが、要は私の情報があまり生ではなかったということなんだけど。
つまりいいたいのは、バングラデシュの労働力の供給はものすごいものがあって、
需要が、特に知的産業についてはあまりにも小さく、そのギャップはリアルに感じるものがある。
大学院生のとき、みんなすっごい優秀なのに授業が終わるとみんなコンピューター室に
缶詰になり、必死に求人サイトをみていた。
その光景が今でも私の頭の中にくっきりとある。
人材がいないことはないんだって思った瞬間だったし、同時に大学ばかりがたくさんできて、
労働市場がそれを吸収できるまで育っていない、まだ原材料を輸出しているところに
非常に問題意識を感じた日々だった。
まあまさか自分が求人募集をこの国で出す側になるなんて、これっぽっちも思っていなかったんだが笑。
そんなこんなでこれからどれくらい募集がきて、さてさて面接がどうなるのか!
またブログで報告します!
2008/08/29 誠実
バングラに来てまだ間もないのに、次から次に大きな問題が起きて、毎日があれている。
日本も日本で大荒れなので、日本にいるみんなには心配かけまいと思いながら、
日々を過ごしている。
生産と販売は両輪。
トヨタのようにお互いがレスペクトし合いながらブランドを大きくしていきたい。
今日、夜アティフさんがソエルさんの工場に行き、私はいつもの通り残って
素材と格闘していた。
そこでマムンが帰ってきた。
サンプルを何十、何百と作っていて、どうしても生の革でやるとコストがかかってしまうため、
似た化学繊維の素材を買いにいってもらっていた。
厚さだけは同じものを選ぶように、とデザイン上必要なために前もって言った。
しかし持ってきたものは全くソフトで、今使っているオリジナルのエリコレザーとは
ちがう。
「マムン、これでサンプルを作ったら別物になっちゃうよ。形も表情も違くなる。」
「あぁ。そうか、マダム。」
仕方ないなぁ、、、と思いながら少量だったので我慢して使おうかと思っていたら
彼がいきなり電話をしだして、それを購入した業者と交渉している。
クーリングオフとかいう日本みたいないいシステムは勿論ここではないために、
本来ならば買ったらお終い。
けれど、今すぐに行くから変えてくれ、と交渉し、電話をきり、
私に何も言わずに買った生地を抱えて、ダッシュして工場をでていった。
それから3時間。夜9時。
思うようにいかないサンプルでまだ格闘していると、なんとマムンが戻ってきた。
「マダム、これでいいかな?」って。
「あぁ、これだこれだー!!ありがとう!」
マムンは満面の笑みを浮べた。
そして、片言の英語で「Today, no eating !!(今日は何も食べてないよ!=走り回って
時間がなかったので)」と言いながら大笑いして、身支度をして、帰っていった。
そのすがすがしさに、私はまたまた感動してしまった。
マムンを面接したとき、履歴書に書いてあった彼の専門性に非常に期待をしていたのだが、
入ってから実はあまり高いレベルではなかったことがわかって、その差に少し苛立ちを
感じていた。
ただ、第一印象が何か心に響くものがあったので、採用した。
試験期間3か月という条件つきで。
しかし、最近のマムンを見ていると、勿論レベルはまだまだだけど、
雇ってよかったなと感じる。
私とアティフが日本にいる間、彼だけが実は無休で働き続けていたらしい。
そして、明日は金曜だから、また土曜日ねぇー!て私が言うと、
明日は仕事があるから来ますって笑う。検品の続きがあるんだって。
先進国では別だが、ここ途上国において、スタッフに必要な絶対条件は誠実さだと
心から感じる日々です。
要領がよくて、周りをうまく使い、こびを売る人が多いこの国で、
彼の今日の誠実さが映ったシーンは、本当に心に染みる。
それさえあれば、未来が真っ直ぐ見えて、そして歩くことができる。
遅くても、ずるしないで、きちんと一歩一歩進むことはできる。
そして進めば、必ずハードルが見えてくる。
けれどその時、きちんと歩いてきた道を振り返り、できるはずさ、って
笑うことができるんじゃないか。
私はそう思う。
2008/08/27 バングラ到着
バングラに到着しました。
一か月ぶりのバングラはまだ雨期が続いていて、一日のうちに何度が雨が降ったりやんだり。
久しぶりの工場。
みんな元気そうで、入った瞬間、「元気ー!?」と聞かれた。
マムンが裁断を覚えて、素材の管理を徹底していて、また仕事が終わってから
パソコンの教室に通い、素材管理のエクセルの使い方をマスターしようとしているのを
聞いてとてもとても感動した。
向上心って、この国で感じることは本当に難しい。
スタッフがそうやって、自分ができることを自発的に広げていっているのを見て、
本当に本当にうれしかった。
更に私もアティフさんもいない中で生産の状況が不安でたまらなかったが、
思った以上の生産性で、スケジュール以上の早さで次の商品の生産を
はじめていたのにとても驚いた。
そして早速私は商品開発に取りかかる。
朝からうずうずして仕方がなくて漸く集中して仕事ができることだけで
本当にうれしかった。
革に触ったり、ミシン使ったりするだけでこんなにうれしいなんて私は
幸せものだなぁと思った。
ただ、開発以外では今回もたくさんの課題を抱えている。
マネジメント面で生産体制をこの出張で大幅に変え、整えることが私にとって
一番の目標です。
日本に滞在した中でお会いしたたくさんのお客様や、応援してくださるみなさんに
もらったエネルギーで、今回も実りある滞在にしたいと思います。
追伸:
日本では副社長の山崎始め、代官山店リニューアルに向けて大忙しです。
お店ではエリココレクションの販売も開始しました。
そして今日お陰様で3度目か4度目の「裸でも生きる」の重版が決まりました。
明日もがんばろう。
2008/08/25 27歳
あっという間に今回の滞在も最終日となり、これからアティフと共に空港に向かいます。
お客様イベントがあって入谷店の一周年を迎え、私自身も年をとった。
めまぐるしい日常生活の中で、こういう時くらいは自分自身のことを考える。
26歳の一年間、私なりに自分らしく、歩いてきたつもりだった。
けれど、その過程で予期しない自分がいたり、その気づきがとても新鮮だったり、
苦しかったりもした。
本を出して、バングラデシュでの生活が多くなって、日本に帰ってきたら情熱大陸が
放送され、周りの目と自分自身の自分に対する見方の違いにも少し
戸惑ったり、学んだりした。
でも成長できた気が、この一年間すごくする。
自分をもっとよく知れた気がするのが私の中で一番よかったこと。
気づかせてくれたみんなやスタッフ、周囲の人たち、そして環境に感謝したい。
この一年間も新しい自分に出会いたい。
大人になればなるほど大きな夢を描けるはず。
可能性を信じて。無限の夢を描ける27歳の私でありたい。
それではバングラデシュに行ってきます。
2008/08/22 合宿、ラジオ、ETC
おはようございます。
27歳になりました山口です♪
イベントが終わりまして、まず面白かったことは田原総一郎さんとの対談でした。
とってもたのしかったぁー。
この取材の後、田原さんのラジオをたまたま聞いた副社長が、田原さんが
山口は第二のホリエモンになって社会を変えていくだろうといっていたらしい笑。
さらにすぐに大沢ゆうりさんのゆうゆうワイドに生出演してきました。
五月みどりさんも一緒に。

ラジオ後、ピックアップしてくれたのはスタッフたち。
そして行き先は「那須!マザーハウス合宿!」なのでした。
アティフさんも含め、イベント後のお疲れ様会も含め、ワゴン2台でいきました。
那須のロッジ。
日本の自然にアティフさんもスマイル。
「あぁ~、自然の香りだぁ~」
そして、早速ディスカッション。
その後は至福の温泉タイム。
22時くらいに再びディスカッション後半戦!と思っていたら、、、
「ハッピーバースデー♪」とスタッフがケーキをもってきてくれました。
「わーい!ありがとう!!」
色紙ももらって、感動のひととき。
そんな時、後藤が、「さて、マザーハウスなのでここで企画が終わるはずがありません!」。
なんだなんだ。
違う部屋に連れられて、そこにあったのは11個のプレゼント。
「??」
「さて、これらが誰のプレゼントが社長にあててもらいます!勿論あたらなかった場合
プレゼントはなしです!」
「・・・・。」
「で、あたったら??」
「全てあてていただいたら、世界一周&一カ月休暇です!!」
「まじーーー!!!」
これは全神経と全エネルギーを集中させて、あてていこうと決意しました。
しかし、世界一周まで私のスタッフが言うということは、全てあてるのは不可能だという
確信があるのだとおもいました。
それをもとに、私はほとんどのプレゼントが、誰かと誰かがタッグになったりしながら
やっているんだと、そしてラッピングなどもわざとショップのものを外して、
違うものでラッピングを変えたりしているんだと、様々な深読みをした。
例えばたこやき機が猪野さんだとおもっていたが(大阪出身なので)、絶対に仲のよい
中村さんとタッグを組んだと思って、これは中村さんの札を置いた。
私の必死の頭脳戦が繰り広げられ、結果私があたったのは、バングラチームの
プレゼント+1個という惨敗だった。
要は私が考えた程、スタッフは何も考えておらず、単純に自分らしく、私にあったものを
かってきてくれたという答えだった。。。。
「がーん。。。。休暇1か月が・・・・。」
そんなこんなめちゃ楽しい時間が過ぎて、ケーキを食べて、議論をすることなく、みんなで
ロッジで爆睡しました笑。
最高にいい誕生日になった。
たくさんの方から、素敵なメッセージ、プレゼント頂きました。
本当にありがとうございます。
27歳の私も自分らしく、自分の哲学に従ってKeep walkingしていきたいとおもいます。
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